2015/07/13

Judgement


2015 JUL 「明確な殺意と未必の故意と妄想性障害」

被告人席に座る男は虚ろな眼差しを宙に向けていた。
74歳と言う年齢を考慮すればかなり若く見え、身体も格闘家のように大きい。
豊かな頭髪の半分ほどは白く、うねる癖毛は自由奔放に跳ねていた。

紺色のネルシャツに鼠色のスラックス。ベルトはしていない。
法廷で被告がネクタイやベルトを着用することは禁じられている。
大柄な被告はスタッキングチェアーにだらしなく座っている。

両脇の椅子には二人の屈強そうな警官が被告人の方に大股を広げ、
スタッキングチェアーに座り鋭い眼光で目の前の被告を注視している。
他人事のように虚空を見つめる男の名を藤本という。


藤本は兵庫県宍粟市に生まれた。兄弟は十名もあり田舎での生活は決して裕福とは言い難かった。中学を卒業後15歳で家を出て大阪で働き始めた。最初は雑役からなんでもやったが17歳頃からは板金工や溶接工等に従事した。若い頃から短絡的で血気盛んな藤本は職場の同僚と衝突することが多く職を転々としていた。審議での論告によれば、小学生の頃の喧嘩ではレンガで同級生を殴ったこともあった。二十代の頃に職場でもめ事を起こした同僚に鉄パイプを一本渡し、自分も鉄パイプを一本握り簡単に決着をつけようとしたこともあった。だが60年近い社会人生活において藤本に前科は無い。

古川産業で働き出したのは平成4年。藤本が51歳の頃だ。古川産業の敷地には三階建てのプレハブ宿舎があり、住み込みの従業員が常時30~40名ほど四畳半一間の飯場で暮らしていた。共同の風呂場とトイレが別棟にあった。藤本は当時、仲の良かった従業員5~6名で飯場一階外の敷地で酒盛りを毎日のように行っていた。藤本達労働者の声は大きい。従業員の中には静かに過ごしたいと思う者も少なくない。平成19年のある日、酒盛りの苦情が古川産業の古川社長の耳に入った。古川社長は酒盛りのグループに日々の宴会を中止するように命令した。その命令を藤本は直接聞いておらず他の酒盛り仲間から聞くこととなった。社長命令の翌日、自分は聞いていないのだから構わないと考え、いつも通り飯場一階外の敷地で酒を呑み始めた。その時、酒盛り仲間のリーダー的存在であった上川が帰ってきた。藤本が上川に酒を勧めると素っ気ない態度で無視され上川は立ち去った。藤本は合点いかなかった。そして二日後、藤本が飯場に帰宅すると飯場一階外の敷地に酒盛り仲間5~6名が酒も飲まずにたむろしていた。ヒソヒソ喋っていた者達は藤本の姿を確認すると急に黙りこくった。藤本は上川に声をかけようとすると横を向かれまたしても無視された。藤本は村八分にでもされたような感覚に襲われた。この時、藤本は確信した。社長に酒盛りの事を告げ口したのは藤本だと上川が従業員仲間に言いふらしているのだと考えた。この時から藤本は被害妄想を抱くようになる。プライドが高く曲がった事が嫌いな性格の藤本が、社長に告げ口した犯人だと思われている事が許せなかった。だが元来内向的な性格のため面と向かって上川に訊ねる事は無く、また相手に訊ねることなど女々しい行為だと考えた。

短絡的な性格の藤本は思った。最後の最後はけじめをつけてやる。上川だけは絶対に許すことは出来ない。それはやがて殺意へと昇華してゆくのであった。藤本は上川と挨拶することもなくなり数年がたった。殺意を抱きながらも何故数年も我慢できたのか。それは藤本が元気に仕事ができ博打も楽しめたからだけなのだ。だが年々仕事は減り月に25日あった仕事が15日、10日、5日と減っていった。日給12,000円の生活は次第に困窮していった。そして平成26年4月にはとうとう3日しか仕事がなかった。酒も食う物も無くなった。今に始まった事ではないが古川社長に前借りした金も底をつき無一文になった。決行する時が来たと藤本は確信した。上川の行動を観察するようなった。上川の腰巾着の高橋はよく上川と呑んでいた。上川が藤本の悪口を言い、それに相槌を打っているであろう高橋も憎かった。高橋には殺意は無いが懲らしめてやらねばと考えていた。

何も食わなくなってから三日後の事だ。高橋が飯場一階の上川の部屋で呑んでいるのを発見した。藤本は計画通り包丁と鉄の棒を用意した。上川の部屋の近くで身を潜めた。しばらくして高橋が部屋を出てトイレに向かった。藤本は行動を起こした。野球のバットよりも重い1.1kgの鉄の棒を高橋の頭めがけて2度3度振り下ろし叩き付けた。不意をつかれた高橋は倒れて動かなくなった。その物音に気付いて部屋から上川が飛び出して来た。藤本は鉄の棒を振り回したが上川に鉄の棒を掴まれた。だが大柄で力の強い藤本はその体勢のまま壁まで上川を押していった。そこでポケットから取り出した刃渡り17cmの包丁を腹部に突き刺した。引き抜いた包丁を今度は胸に突き刺した。包丁は抵抗も無く柔らかく奥まで入っていった。上川は前のめりに崩れ落ちていった。その背中に藤本は何度も何度も包丁を突き刺した。呆然としているとやがて遠くでサイレンの音を聞いた。幾つもの赤色灯を目視できた。複数名の警官に押さえつけられている事に気付いた。藤本は高揚感とか達成感に溢れ幸せな気分だった。


そして一年後に裁判が始まった。上川は事件当日に死んだ。高橋は辛うじて一命をとりとめたが脳挫傷の後遺症から仕事ができなくなり古川産業をクビになった。今は生活保護を受け西成の簡易宿泊所(ドヤ街)で暮らしている。大阪地方裁判所で証人質問が始まった。事件の目撃者である従業員。古川産業社長の証人質問。高橋被害者の傷の判定をする法医学の証人質問と続いた。被害者である高橋(65歳)は当時の記憶が全く欠落しているという。部分的記憶喪失だ。検察官の質問に対して高橋は「被告には極刑を望みます」と答えた。その途端に藤本は激高し怒鳴りながら立ち上がった。両脇に座る屈強そうな警官二人が藤本被告を強引に押さえ込む。さながらアメフトのスクラムを見ているような光景だ。裁判長に注意を受け審理は続くが、再び藤本被告が怒鳴った時、裁判長が「退廷させますよ!」と注意すると「俺から出ていったるわ!」と藤本被告は激高した。だが裁判長は藤本を退廷させることはなかった。すぐにパーテーションが用意され藤本被告人と高橋証人との間に目隠しを作った。このパーテーションは被害者と被告人が目を合わせないよう、レイプ等の性犯罪等では多用されるが、それ以外では滅多に登場しない。後に一人の裁判官(40歳)の説明ではこれほど怒鳴り立ち上がる被告はまず見た事が無いと言った。女性の裁判員は恐怖を強く感じる者もいた。

その後は精神科医の証人喚問が行われた。藤本被告は検査の結果、妄想性障害が認められる結論に至った。この結論は弁護側も検察側も異議は無かった。藤本被告は元来の性格が内向的でプライドが高く曲がった事が嫌いで自己中心的なところがあり、被害妄想癖からの犯罪であるというのが妥当らしい。精神科のドクターは妄想性障害が無ければ事件は起こっていなかっただろうと証言した。だが藤本被告は心神喪失および心神耗弱とはいえるかどうかは疑問が残るところだ。被告が心神喪失なら無罪放免。心神耗弱なら減刑を考慮しなければいけない。

妄想性傷害のせいだろうか、検察の質問に対して反省も謝罪の気持ちも無かった。今でも上川の事を聞かれると腹が立つと言う。上川が死亡したことについては「清々してる!」と声を荒らげた。高橋に対しても上川の金魚の糞程度にしか思っていないように感じられた。


法廷の法壇には真中に裁判長を含めた裁判官が三名座り、右側に裁判員が三名、左側にも裁判員が三名座る。法壇の後には補充裁判員が二名座っている。裁判員六名は裁判所の中では1番から6番までの札を首からぶら下げ名前は伏せられる。2番裁判員とか4番裁判員という呼ばれ方をする。そして裁判員は証人や被告へ法廷内で質問できる。だが普段は一般人の裁判員が容易く喋れるとも思えないし緊張や恐怖もあるだろう。なお補充裁判員は質問する権利は無い。裁判の途中で何度も休憩がとられその度、法壇の後の小さな部屋で裁判官と裁判員で打ち合せが行われる。疑問に思う点が出て来たが証人に質問したくない裁判員は質問を裁判官に託す。その後は裁判官が裁判員の質問を代弁する。現にこの裁判でも1番裁判員から5番裁判員までは法壇で一度も質問することはなかった。

唯一6番裁判員のみ四日間の裁判で複数回、証人や被告人に質問していた。その事を聞いた6番裁判員の妻は傍聴席で誰が見ているか分からないのだから安全のためにも黙っていてほしいと懇願した。だが6番裁判員は妙な正義感からただ一人質問を繰り返した。6番裁判員は検察からの求刑が出る前に最後の質問を被告にした。「あなたは精神障害が認められなければ大きな罪に問われるかもしれませんが今回の事件に関してまったく後悔はありませんか?」被告人はゆっくりと答えた「ない・・・です」。6番裁判員は矢継ぎ早に質問した「あなたは自分が妄想性傷害のせいで事件を起こしたのだと考えますか?」被告は同じようにゆっくりと答えた「関係ない・・・です」。6番裁判員は想定内だと考えながらもとても残念な気持ちに心を支配された。

裁判長は藤本被告に「最後に何か言いたい事はありますか」と聞いた。
被告は「今回はほんまええ勉強になりました・・・ありがとうございます」と発言した。
裁判長は「何がええ勉強になったのですか」と聞いた。
被告は「自分の・・・事でんなぁ」と発言した。
裁判長は「自分の事とはどういう意味ですか」と聞いた。
被告はうつむいたまま「ううむ・・・・・・・・・・・・・・・・・」
数分後、弁護側、検察側の最終弁論に移った。

争点は二つ。高橋への殺意があったのかなかったのか。これは殺人未遂なのか傷害なのかで罪の重さは大きく変わる。そして上川や高橋に対しての犯行に責任能力が有るのか無いのかというところだ。論告弁論において弁護側は妄想性傷害に罹患しており、そこからの心神耗弱にて無罪もしくはそれに近い求刑が正当だと弁論した。検察側は妄想性傷害は認めるがそれは動機においての限定的なものであり、全てにおいて責任能力は有り高橋被害者に対しても未必の故意として殺人未遂であると判断し出した求刑は25年であった。これで四日間の審議が終わった。


翌週からはまた四日間かけて裁判官と裁判員で評議が行われる。この四日間は法廷に出ることはない。9時から5時まで休憩を何度か挟みながら行われる。評議室の大きな円卓に裁判長を含む裁判官三名と裁判員六名が座る。ここでも補充裁判員二名は別のテーブルに二人が並んで座る。しかしここでは裁判員も補充裁判員もなんの制限も無くフリーに喋れる。裁判長は裁判員達に注文を出した。積極的に質問してほしい。積極的に反対意見を出してほしい。積極的に意見を変えてほしいと説明した。

だが無作為に選ばれた一般人の裁判員の社会的能力の差は大きい。弁護士や検察官並みに理論武装し流暢に説明できる裁判員も居る。一方では争点・論点から外れた素っ頓狂な意見を述べる裁判員も居る。裁判長と裁判官はそんな烏合の衆に優しく説明し丁寧に評議を進行させるのであった。

自分の出した意見に反論される。誰かの出した意見に反論せねばと頭を回転させる。今の意見で良いのだろうか。違う思考で意見しなければと考える。それはそれは自身を追い込んで必死のパッチで無い知恵を絞り出す。それを理路整然と巧みに喋ろうとする。その集中力はハンパ無い労力である。初対面の人達とそれが9時ー5時で四日間も続くのだ。あれこれ思うところは山のように有る。だからここでは審議以上に詳しく評議内容を解説するべきなのだが、評議の内容は永続的守秘義務により一切口外してはならないのだ。

そして評議の最後には量刑を決めなければいけない。過去の判例を基に量刑分布表のデータをあれこれ見せられる。それを参考に裁判官が指導しながら裁判員全員が何度も意見を出し合い量刑の年数を評議する。そして裁判官三名と裁判員六名が量刑の年数を投票する。そしてまた話し合いを繰り返す。これを複数回繰り返す。最後の最後は量刑の年数が全員一致しなければ多数決で決められる。被告の量刑の年数を自分で決めると言う事、審議四日間、評議四日間の中で一番手汗が多かった6番裁判員であった。

四日間の審議と四日間の評議が全て終わり裁判官と裁判員の最終的な量刑が出た。

週明けの九日目がようやく最終日。裁判官によって作成された主文の校正をする。
そして夕刻、裁判官と裁判員は法廷に戻った。
裁判長は丁寧に淡々と、かつ明瞭で高度なレトリックで話し始めた。

主文
「藤本被告を懲役21年の刑に処す。」
そして朗々と判決の理由、罪となるべき事実、争点の判断、量刑の理由などA4の原稿用紙8ページ分を読み上げた。

最後に裁判長は懲役刑の間に被害者への懺悔の気持ちを抱けるようになってほしいと説いた。

被告は激しい気持ちをあらわにして首を大きく左右に何度も振ってみせた。

想定はしていたがハッピーエンドとは対極にある気分で心の緞帳は下りた。

9 件のコメント:

  1. まあ、なんてコメントして良いかよくわからないんだけど……………
    多々メンタル的苦労があったと思うしお疲れでした。
    でも、判決が出てるから個人のblogで公開しても大丈夫なん!?
    ちょっと、そこが心配かなぁ〜
    問題無ければ良いんだけど(~_~;)

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  2. bp-hiroちゃん

    まいど! 白馬お疲れっした!
    焼き鳥屋で若干の報告したと思うけど・・・
    法廷で四日間審議された内容や評決など誰もが知りうることを書く事は無問題やねん。
    法律的にアウトなんは密室で四日間評議された内容をリークすることなんよ。
    今時、法廷マニアも多いから審議中でも色んな人達が法廷見学に来てたよ。
    法廷フェチのブログも少なからずあるしね〜
    今回の裁判で裁判官と裁判員しか知り得ない情報をSNSでアップするのはアウト!
    だから、そこの部分は一切書いてないので無問題なのですよ。

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  3. (^_^)
    そうかぁ~
    じゃあ良かったわ~
    詳しく把握してないから、ちょっと心配になったけど.....................

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  4. かっちゃん
    ご無沙汰です~(^^)

    内容が内容だけにコメントを控えてましたが、やっぱりそういう事だったのね…

    お疲れさまでしたーっ!

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  5. bp-hiroちゃん

    もう少し詳しく書くと僕は評議の事を書いてるんやけど、
    それは裁判官の指示による進め方や量刑を決める手順のみ。
    その事に対して自分はこう思った的な内容のみしか書いてないでしょ。
    被告及び被害者の裁判に関わる様な内容は一切書いてないのよ。
    だから無問題なんやけど、こんなもん経験せんと分かる訳ないと思よ〜

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  6. takaちゃん

    まいど〜ご無沙汰やん!
    いやほんまに、九日間でメッチャ疲れたよ〜(泣
    心神耗弱で痩せる想いやったわ!(じぇんじぇん痩せてないけど・・・
    今ではええ経験やったと思うけど二度とやりたないのが本音やわぁ

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  7. ほんでから皆さんへ追伸でおま

    被告や被害者等の名前は偽名でっさかいに!
    誤解無きように頼んまっせ〜

    by 6番裁判員より

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  8. てか、絡みにくいわ(笑)

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  9. daiちゃん

    御意に・・・(笑
    まじで、めっちゃしんどかったから・・・
    記事内容なんてほぼマスターベーションの世界やし(笑

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